◆ヨハ 19:17 「イエスは自分で十字架を負って、「どくろの場所」と呼ばれるところに出て行かれた。そこは、ヘブル語ではゴルゴタと呼ばれている。」
◆以前ゴルゴタの丘に行かせていただきましたが、そこは本当に岩肌がどくろに見える丘でした。
そこで賛美し祈った時、神の愛が心一杯に満たされた感動がよみがえってきます。
神の愛が皆さんの上にも豊かに注がれますように。
◆ヨハ 19:17 「イエスは自分で十字架を負って、「どくろの場所」と呼ばれるところに出て行かれた。そこは、ヘブル語ではゴルゴタと呼ばれている。」
◆以前ゴルゴタの丘に行かせていただきましたが、そこは本当に岩肌がどくろに見える丘でした。
そこで賛美し祈った時、神の愛が心一杯に満たされた感動がよみがえってきます。
神の愛が皆さんの上にも豊かに注がれますように。
◆ルカ 23:21 しかし彼らは、「十字架だ。十字架につけろ」と叫び続けた。
◆群衆は、人類の罪の身代わりとして愛に死のうとしておられるイエスに対して、「十字架につけろ」と叫びました。
私たちは、イエスではなく、自分自身の罪、自我を十字架につけ、神の命に生きる者となりましょう。
◆ヨハ 1:29 その翌日、ヨハネは自分の方にイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の子羊。」
◆洗礼者ヨハネは、イエスについて「世の罪を取り除く神の子羊」と言いました。
イエスこそ、旧約の罪のいけにえが示す実体であることを宣言したのです。
イエスの十字架の目的がここに示されています。
◆エペ 2:16 「二つのものを一つのからだとして、十字架によって神と和解させ、敵意を十字架によって滅ぼされました。」
◆キリストの十字架は、ユダヤ人と異邦人を、さらに神と人間とを和解させ、一つのからだとしてくださいます。
キリストの十字架の力を信じる者となりましょう。
今週のテーマは、「十字架」です。
◆ガラ 3:13 「キリストは、ご自分が私たちのためにのろわれた者となることで、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。「木にかけられた者はみな、のろわれている」と書いてあるからです。」
◆十字架は、大罪人が処せられる死刑の方法で、呪われたものとみなされていました。
しかし、イエスは自らこの呪われた者となり、私たちを救い出してくださいました。
ここに愛があります、
◆イザ 6:8 私は主が言われる声を聞いた。「だれを、わたしは遣わそう。だれが、われわれのために行くだろうか。」私は言った。「ここに私がおります。私を遣わしてください。」
◆預言者イザヤは、主の招きの声を聞いたとき、「私を遣わしてください」と応えました。
私たちも困難な状況の中に陥るときがあるかもしれませんが、神様のために「私を遣わしてください」と立ち上がる者となりましょう。
◆ルカ 5:11 「彼らは舟を陸に着けると、すべてを捨ててイエスに従った。」
◆弟子たちにイエスが召命の御声をかけられたとき、彼らはすべてを捨ててイエスに従いました。
舟は彼らの生活手段であり、それをささげることは大きな犠牲であったと思います。
しかし、弟子たちはそれらを惜しみなくすぐにささげてイエスに従いました。
これこそ全き献身の姿です。